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2005年09月15日

生データがない


各紙で報道されている東京大学の工学部の多比良教授の部屋からの論文に関する問題は少し前に発覚した大阪大学でのケースとは比較にならないくらい大きな”事件”で、この後、日本の研究の進め方に大きな影響を与えると思います。
研究ノートの取りかたを含めたデータの管理に米国並みのものが要求されることになっていくでしょう。ルーズリーフに実験ログをとっていくというようなやり方は禁止されるかもしれません。

米国でかなり前に大問題になりそれを防止するためのいろんなルールが導入されてきました。日本から米国に留学する人は非常に多くそれらのひとも米国ではそのルールに従って研究をやってきたわけですから帰国してもそのレベルのデータ管理は出来るはずですよね。


職業としての学問にあるとおり学問が職業として成立して以来そのあり方は善きにつけあしきにつけ変わったのだと思います。競争に勝つという要素が否応なく取り入れられてきています。競争といってもASAにいくつ採択されたかやAnesthesiologyに論文が掲載されるといった次元の低いものからノーベル賞を争うといったレベルのものまでありますが、とにかく自分の属している集団では生き残りのための競争は不可避です。
競争をするのだからルールが必要でそのためには論文の適否を後から検証する仕組みがあるのは当然ですよね。医療の世界ではカルテの改ざんを防ぐための仕組みとかがどんどん導入されてきています。性悪説に基づいているとしか思えないような感じです。研究もお金に余裕のある人が余暇で行っているといったノリの時は性善説で良かったのかも知れませんが博士号を思っていても就職先の無い場合もある現在ではそうはいかないのかも知れません。
今は論文一つで企業の株価が大きく変動する可能性のある時代です。ウソでも良いから何か論文を出して株価を上げて大もうけしたら後でウソとわかってもお金は儲かったというようなことが実際にあるのかどうかは知りませんがあり得る話だと思います。


何度も引用されるような論文はある程度追試され評価が固まっていると言うことになります。追試の過程で細胞が異なる場合違う結果になったりして一時的に論争になるときもありますが結局両者を止揚するような発見に至ることもあります。
一方一回も引用されない論文もあります。発表してもだれも追試をしてくれない論文はいくらおかしなことをしていても誰にも批判されません。でもこれはさびしいです。こんなことなら研究などしないほうがましです。

なかなか難しい問題ですね。
最後は尻切れとんぼですみませんでした。


論文の信頼性に問題、遺伝子研究で生データなし…東大 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

投稿者 hif1 : 2005年09月15日 20:33

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