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2005年09月11日

Sep 11

今年もSep. 11がめぐってきました。当時米国の東海岸に住んでいたので直接の被害は無かった我が家でも一連の出来事はいまでも話題に上ります。
当日はBaltimore市も快晴でした。いつものように7時前に研究室に到着して実験の準備をして電気泳動をはじめたくらいの時にTwin towerに飛行機が衝突したという話がlabで広がり皆でInternetでそのnewsを確認しました。程なく二機目のnewsが流れ事故では無いことがはっきりしてきました。結局ペンタゴンにも一機とペンシルベニアで原因不明の航空機の墜落がnewsとして伝わってくるに及び誰の犯行かはわかないまでもこれはテロであるという認識をみなが持つようになっていました。BaltimoreはペンシルベニアとDCの途中に位置しBaltimoreが標的にされるとしたらJohns Hopkins Univ.でのシンボル的なDomeがその第1候補であるという噂もささやかれていました。

ぼくはといえば、電気泳動を終えgelを乾燥させオートラの準備をして帰宅する頃には午後3時くらいにはなっていたと思います。I83を北上するわけですがほとんど他の自動車が走っていないことに気付きました。このような自体では家族で固まると言うことが彼らの行動様式なのだなと考えました。

炭疽菌騒ぎが近くの郵便局で起きたとかくらいで日常生活が影響を受けたと言うことはありませんでした。飛行場で人を出迎えるときにゲートまで入ることができなくなりました。影響としてこれが個人的には一番大きかったような気がします。
情報はほとんど新聞から得ていました。New York Times は長い期間にわたって報道を立体的に続けていたと思います。現在でも当時の記事などにアクセスできます。このころから時間もあったということもありかなり熱心なNYTの読者になりました。少なくともいま日本で新聞を読む時間よりはるかに長い時間を新聞を読む時間に割いていたと思います。

以上、選挙の影響か今年に限っては日本では忘れ去られているSep. 11に関するエントリーでした。

投稿者 hif1 : 2005年09月11日 21:07

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