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2005年12月04日

"分子生物学のもつ浅薄さ"

"分子生物学のもつ浅薄さ"
というエントリーが柳田先生のblog(柳田充弘の休憩時間 Intermission for M. Yanagida)にありました。

いつも考えていることとよく似ていたのでおもしろく読めました。

ぼくはずっと分子生物学という方法論に依って研究を進めてきました。
この学問は、ある分子、蛋白質、DNA、RNAの性質を調べることにより生命現象を説明しようと言うものです。決して分子生物学を用いた研究がそれ以外の方法論と比較して高尚と言うわけでもないし低級と言うわけでもないと思います。要するにタダの方法論なのです。しかしこれを用いると何か”解った”という気になることがあるわけです。ぼくは分子生物学を培養細胞に適応して、細胞の生理を主に追究していましたが最近は日和ってそこら辺に転がっている薬剤を使った薬理学的なこともやっています。このような方法論を個体に適応すればはやりのknockout mouseを使ったような仕事となるわけです。マウスを用いて精神というか心の問題を追究する研究者もいます。もっと卑近には、揮発性麻酔薬が心筋のpreconditioningをもたらす。あるリン酸化酵素の活性化がある分子生物学的な指標で確認された、またその酵素の”阻害薬”がpreconditioningを部分的に阻害した、ということをもってある酵素がそのpreconditioningに必須だ結論つける、といった具合です。
ここで”浅薄さ”を持ってくるととてもそぐうと思っています。
細胞の性質を論じているレベル程度ではなかなかそうは思われないのですが、ある遺伝子の変異で高次の精神的な問題例えばschizophreniaとか恋愛感情をネズミを使って説明しようとすれば誰が考えてもかなり””浅薄な”感じを受けると思います。
痛みの研究にしてもある単一の遺伝子で何かがすべて説明できると考えるのはかなり浅いし、その研究者が本気でそう思っているとすれば、その人はかなり単純な頭脳を持っている人であると思います。
しかし


とりあえず、新しい性質がみつかり、それで興味深い物語ができれば、それでその配役をしているものは、配役の役割以上のものとは思われないわけです。

ということもありまた

ひとつひとつのステップはたとえ浅薄のようにみえても、それらは力強いストリーを作り、それ真実であるかどうかが検証される。これが分子生物学の歴史でした。そのストリーは後から思えば浅さの目立つものとは言え、現に進歩している瞬間ではそのようなものは欠陥とは思われないのです。

ということが連綿と継続していくならかなり強いうねりというかストーリーが生まれてくると言うことになります。
医学研究ということになると究極の目的は、ヒトの疾患を予防したり、診断したりさらに治癒させる方法論を見いだすと言うことになると思いますが、そこまでたどり着けば”浅薄”とは言われなくなるのでしょうか。

こういった問題とhypoxia research::blog: 雑誌の記事からで紹介した”世界”の座談会の内容も無関係では無いと思います。

投稿者 hif1 : 2005年12月04日 17:28

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