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"Fake Data, but Could the Idea Still Be Right?"

科学において、ある主張が、それを証明する過程で不正があったとしてもそれとは無関係に真である場合もあるし偽である場合もあります。
今週号の雑誌Scienceでこんな問題が論じられています。
CANCER RESEARCH: Fake Data, but Could the Idea Still Be Right? -- Couzin 313 (5784): 154 -- Science
ノルウェイ人のガン研究者であるJon Sudbø博士がLancetやNew England Journal of Medicineその他に発表した論文のほとんどはかれが作為的に作ったdataを含んでいることが明らかになり論文のリトラクトなどが行われました。
(この経緯は、wikipediaに詳しく説明されています。Jon Sudbø - Wikipedia, the free encyclopedia
彼の論文は、彼が作為的につくったデータを多く含むため、彼の主張の真偽は決定できない道理です。しかしかれが論文で提唱した概念は口腔ガンの研究者にとってあまりに魅力的なものであるがゆえに、現在その真偽を確かめる研究が行われているというのです。
どんな空想であっても、空想の真偽を確かめることはできる場合がありますーもちろん確かめることが現在の科学の水準ではできない場合もありますー。ある時代に不正に提唱された概念も後の時代の検証により考え自体は正しいーしかしその当時にはそれは証明できなかったはずであるーという評価を下される場合があります。メンデルのエンドウ豆の研究も、ガリレオの振り子の等時性の発見も、現在の検討からは彼らが当時の科学の水準でその発見ができたのかに関しては疑問が提示されているそうです。しかしそれとは無関係にメンデルの”発見”した法則は独り歩きをして現在の遺伝学の構築に大きな貢献をしました。
だからといって一部の天才は捏造をしてもよいのだということにはなるわけは無いのであって現実の世界ではいろんな問題が生じてきます。
自分の治療や診断法または理論に自信を持っている人は手続きを無視して結論の正当性を主張したくなるのでしょうか。
自分の開発した術式を広めると称して病院運営を壟断しようとしている”スーパードクター”もいます。困ったものです。

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2006年07月15日 08:45に投稿されたエントリのページです。

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