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かつての自分

”るなのひとりごと”(参照)を読んでびっくりしました。
修士の学生さんがかつてのぼくとそっくりなのです。
ぼくはまったくの劣等大学院生で、同じ大学の付置研究所に麻酔科から出されて研究をしていましたが、4年かかっても学位を取得するための論文を完成することができませんでした。雑用は多いし、テーマも満足に出してもらえないことに原因があると本気で思っていました。研究室の院生と話していてもいつも悪口ばかり。まあもともとやりたい研究でもなかったしどうでもいいと思っていたこともありました。とっとやめて麻酔科に戻ろうと思ったことも何度もありました。いろいろ言われて腹を立てて電話の子機を投げつけて家に帰ったこともありました。
その学生さんとぼくが違っていたことはそう多くはないがぼくが妻子持ちだったということだと思います。学費を出して院にいる以上学位無しではいかんだろうとは強く思っていました。週に一回しかアルバイトをしていませんでしたし一年350日以上は研究室にでて研究をしていましたので妻の手前もあり学位無しでは困ると思いました。ようやく5年目に論文が出ました。この論文は自分でも云うのも何ですがなかなか良い論文でこの分野のいまや古典になっていると思います。ISI web of scienceの統計でも引用回数は現在397回です。
結局その論文のおかげで研究生活を続けることになりました。しかしこれが良かったかどうかはまた別の問題です。

昔のことを思い出してしまいました。

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コメント (1)

TBありがとうございます。先生が彼女と決定的に違うのは、「学費を出して院にいる以上学位無しではいかんだろうとは強く思っていました」という部分だと思います。彼女が結局自分の状況を反省しないままだった一つの大きな原因は、それでもうまく卒業できてしまった(しまいそう)であることであり、そうさせてしまったわれわれにも責任があるのでしょう。
理由がどうであれ、先生も「このままじゃいかん。」と思ってがんばったことが結果的にいい論文につながったのではないでしょうか?「このままだっていいじゃん」でうまくいってしまったのでは、それからさきも「まあいいじゃん」でいってしまったかもしれませんよね。
私も彼女のことは言えたものではありません。人のせいにしたくなることは沢山あります。でも、がんばろうっと、と思います。学費勿体ないし。

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2007年02月23日 23:59に投稿されたエントリのページです。

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